近頃、姉のところの姪っ子が年齢を明確に答えられるようになった。「なんさい?」と聞くと、「さんさい!」と指を三本立てる。そして加えて、「なおは?」と聞き返す。(ちなみにわたしは、姉のところの姪っ子からは呼び捨てにされていて、弟のところの姪っ子からはちゃん付けで呼ばれている。)
わたしも姪っ子と同様に、両手で3を示して、「33歳!」と答えると、「あ、いっしょだ~!」と自分の3と見比べて笑顔になるのだ。
これが無性に楽しいひとときだったから、一つ年を重ねることが惜しいような気がしたが、抗えない。わたしは、6月15日に34歳になった。
「戻りたい年って、ある?」
誕生日を目前に父とご飯に行ったとき、こんな質問をされた。
わたしが「ないかな」と即答すると、自分もそうなのだと父は言った。
何の後悔もない。やり直したい瞬間なんて、一つもない――。
そう言い切る父をかっこいいなぁと思ってしまうわたしはまだ、ひよっこなのだと気づかされる。後悔はないけれど、あのとき違う選択していたらどうなっていたかなぁ、と何となく夢想してしまうことがあるからだ。
だからといって、悔しい思いや羨む気持ちなどが湧いてくるわけではないのだが、そんなふうに過去を行き来しているのでは、前へ進むチャンスを逃してしまっていることもあるのではないか。
過去を未来に置き換えてみたらどうだろう。
この先、こんな選択をしたらどうなるか。いや、別の選択をしたら?——と、わくわくするような夢想ができたらいい。
未来のあらゆる可能性を考えるとき、ネガティブになってしまうこともある。あれをしたらあんなリスクやこんなリスクがある、と。大人になるというのは、そういう考えも持つことだとは思うのだが、同時にポジティブな想像を持ち続けたい。これをしたら楽しそう、面白そうだと。
人でも物事でも、そういう良いところ探しが上手な大人になりたい。そう34歳の大人が思えるのは、3歳と33歳が一緒だとよろこんでくれる姪っ子の感性に触れたからだろう。
年上年下関係なく、いろんな人と関わるなかで、いろんな刺激をもらいながら、柔軟に歩んでいきたいと思う。
誕生日おめでとうございます!
曲がりくねった道も
振り返れば 今日への一本道!
何時も様々の本の紹介 楽しみにしています。
新鮮な言葉は 眠りこけた心
を
くたびれた神経を 目覚まし
てくれます
いつも脳ミソに頼らない、語りかけ言葉に 癒されています。
更なる 活躍に期待し応援しています!